2014年7月3日木曜日

被曝地の国際連帯構築を・・・タヒチからのレポート 


当会よびかけ人の川上直哉師(日本キリスト教団・仙台市民教会主任担当教師、東北ヘルプ事務局長)が、タヒチから届けてくれたレポートを紹介します。


川上師は、「ムルロア・エ・タトゥ」という太平洋の被曝者を覚えることを目的とした団体の招きで、福島第一原発事故での被曝の実態を伝え、国際的な運動の連帯の構築を探り求めるために現地を訪れています。このような重要な働きが、秘密保護法や解釈改憲のもとで制限され、報道されない事態になることや、国際的信頼を失い道が閉ざされる事態を憂慮します。
どうかこの働きのためにもお祈りください。

(文中、一部、事務局が校正・加筆いたしました)
 

川上は今、タヒチにおります。ほとんどネットがつながらない中で、仲間の事務所を借りて、今、久しぶりに世界とつながりました。
日本国内で解釈改憲の問題をめぐり、緊迫がたかまっているのに、何もできず、申し訳ありません。
(中略)
私たちの最大の力は、回心できること、だと思います。タヒチに来て、私たちの父(母)祖が行った植民地統治と、そして今回の世界規模の汚染と、その二つを、公式の席で、お詫びしたいと思いました。そのお詫びは、もう一つ深く魂を探り、その根になっている罪を言葉にする必要があると、感じました。

 フクシマの問題が次第に緊迫を増しているように思えますが、今の無理が破綻した時(それはそう遠くないでしょう)に備えて、なんとか、国際的な連帯を構築しようとしています。
その努力の一つとして、今、タヒチに来ております。そして、添付の「公開書簡」を、大統領府にお持ちすることになりました。結果を含めた報告は、下記の通りになりました。
1.「ムルロア・エ・タトゥ」という太平洋の被曝者を覚えることを目的とした団体が、今回、私たちを招いてくださいました。1966年の72日に、フランスがムルロアで核実験を始めた、そのことを覚えて、毎年72日に集まることが、21世紀になって始まったのでした。その中心になっている団体が、「ムルロア・エ・タトゥ」です。

2.この団体の事務局長が、John Doomさんです。この方が、今回の私の旅のホストになってくださいました。この方は、もともと、この地域の教会全体の事務局長で、その後、タヒチ首都パペーテ市役所の事務長をして、そして、世界教会協議会の職員となり、その後、同協議会の太平洋代表となってから、ムルロアの問題に取り組むようになったとのことです。

3.昨日の報告に載せました通り世界には、声を挙げられないままにいる被曝者がたくさんいます。


タヒチは、その人々が声を上げる場所を作り出しました。最初にムルロア、そして、ナガサキ・ヒロシマ、アルジェリア、そしてセミパラチンスクから、ここで声が上がりました。今回、フクシマも、ここで声を上げるようにと、それが、今回のお招きの趣旨でした。

4.具体的には、72日に行われる催事において、被曝地からの「石」を持ち寄り、記念碑の前に据え付ける。それが、一つの形となっていました。
 それで、私も、フクシマの石を持ってくるように要請された次第です。
記念碑は、美しくも迫力のあるモニュメントで、海の前に、小さくしかし威容を示していました。この記念碑を、現在の大統領が撤去すると発表、タヒチは騒然となり、先週の日曜日・水曜日は、1000名の学生デモが起こった、とのことでした。
旅の出発前にそのことを知らされた私は、時間のない中で態度を決めなければならなくなりました。「大統領府に、この撤去の撤回を求めること」その手伝いを、求められたのでした。

5.結局、私は、(被災地での)支援の時の原則に従いました。「目の前の困っている人を助ける」、「後のことは、あとで考える」という原則でした。
そして、昨日、大統領府に行ってきたわけです。その様子は、昨日夜のテレビニュースで、大きく取り上げられたようでした。私は見ることができなかったのですが、二つのテレビ局(だけがあります)で、両方とも、時間を割いて放送したそうです。
フェイスブックには、片方のものが動画になっていました。以下の通りでした。

 
6.そのニュースの中で、タヒチ大統領は、日本からも撤去撤回を求めて人が来ているが、と記者に尋ねられて(ぶら下がり取材のようでした)、はっきりこう答えています(と通訳をしていただきました)。
 「あの記念碑は、フランスの偉大な力を世界に示して貢献する核実験について、我々タヒチが協力していることを示す大切なものだから、撤去は、しない」。 
 その論理に、通訳をしてくださったDoomさんは怒っていましたが、しかし、これからは大統領が喜んでこの記念碑を保存することになる、そのことを、私たちは喜んだのでした。

7.以上が、昨日までの報告でした。その他にも報告すべきことがたくさんあります。やはり、タヒチは「被曝の先輩」です。更に学び、日本に帰りたいと思います。
 今日、夕方、「フクシマの石」の贈呈式をして、明後日の便で、成田に戻ります。
下記の写真のガラス塊が、その「石」です。


 透明な色の黒いものが、南相馬の砂で作ったもの。白濁した緑色のものが、川内村の砂で作ったものです。

この日曜日に教会で、また、今朝、太平洋教会協議会の責任者を前にショートメッセージをいたしました。説教原稿は、タヒチの言葉に翻訳して、配布していただけるそうです。
この説教原稿の最後の祈りの言葉を、今日の夜、催事の締めくくりの祈りとして、英語で川上がし、Doomさんが通訳してくださいます。
以上、長い報告となりました。
川上直哉