●8か月、開催を祈ってきた緊急集会当日。集会に先立つ記者会見には、メディア10社の記者が駆けつけ、IWJ・岩上安身事務所のご厚意でインターネット中継も実現。会の設立経緯や賛同者の数、「声明」を発表し、呼びかけ人4人がそれぞれの思いを話しました。同法施行を目前に廃止を求める主張をしっかりと伝え、これからも活動して行く決意を新たにするときともなりました。
当日の映像はコチラ… http://www.ustream.tv/recorded/56274091
http://www.ustream.tv/recorded/56274249
日本CGNTVのニュース放映はコチラ…
http://japan.cgntv.net/_inc/player.asp?pid=2304&bit=low&vid=69341&dreamon=Y
朝岡勝共同代表の司会で開会。
主催者挨拶で安海和宣共同代表は、秘密保護法施行のイブ(前夜)に、講演会を開くことの意義深さと、1年間の活動を報告。新約聖書・ヨハネの福音書3:20、21節「 悪いことをする者は光を憎み、その行ないが明るみに出されることを恐れて、光のほうに来ない。しかし、真理を行なう者は、光のほうに来る」を紹介し、「この集会が深く考え、思慮深さと神からの知恵を持って次に行動するひと時となれば幸い」と結びました。
田中伸尚さんが「闇の中で輝く光ーー戦争国家化の中で」というタイトルで講演。ジャーナリスト・ノンフィクション作家としての幅広い見地からのお話しに瞠目。田中さんは、「決して諦めないで粘り強く法律の廃止と戦争をする国を阻止してまいりましょう」と締めくくりました。(講演要旨別項)
講演を深める山口陽一東京基督教大学教授のレスポンスは、神に赦された信仰者として、御霊の光によって、洞察力をもち社会を見つめていきたい。神を愛し、もっとも小さいものの隣人として生きてゆく。と羅針盤の針をきっちり十字架に合わせるものでした。
○緊急に出演が決まったゴスペルディレクターの鬼無宣寿さんの歌声は、集った方々の心の奥に深く響き、癒し、神を、そして愛する我が国、隣人を愛せよ、との熱い思いへといざないました。
○集会では「声明」を「特定秘密保護法施行前夜に集う私たちの思い」として読み上げ、参加者一同の総意として拍手で確認しました。また、当日の席上カンパ139,608円は集会の運営費と活動費に充てさせていただきます。ありがとうございました。
<発表した声明>「特定秘密保護法施行を前にしての声明」
2014年12月9日「特定秘密保護法に反対する牧師の会」
共同代表 朝岡勝 安海和宣
呼びかけ人一同
昨年12月6日、特定秘密保護法は稚拙な法案審議と強行スケジュールによって成立しました。それから一年が経ち、明日12月10日に施行されようとしています。この間、多くの国民の不安や反対の声、国の内外からの重大な懸念の声が寄せられていたにもかかわらず、政府は主権者たる国民の声に謙虚に耳を傾けることなく、むしろ法施行に向けての準備を着々と進めて来ました。これらの経過によって私たちの不安や懸念は払拭されるどころか、ますます同法施行後の社会に対する深刻な憂いを抱かざるを得ない状況になっています。ここにあらためて私たち「特定秘密保護法に反対する牧師の会」は同法の施行に反対し、速やかに廃止されることを求めます。
そもそも同法が国会で審議され始めた当初から、これが今の政権が「積極的平和主義」の名の下に推し進める「戦争ができる国造り」の流れの中にあることが繰り返し指摘されて来ました。事実、今年7月の集団的自衛権行使容認の閣議決定によって、このことは一層明らかになっています。今回突如として衆議院解散と総選挙となりました。政権与党は経済問題を前面に押し出して、特定秘密保護法や集団的自衛権行使などの重大な論点を選挙の争点から隠そうと躍起になっており、そのどさくさの中で同法は明日の施行を迎えようとしています。
私たちは今回の選挙が明らかにこの二年間の政権の価値観、国家観を問うものであることを覚えます。そして立憲主義、基本的人権、思想・信条・良心の自由など民主主義社会に不可欠な理念、憲法前文及び第9条に記された平和主義、聖書が示す正義と公義、平和と和解が大切にされ、小さくされた者たちの声が押しつぶされることのない社会のために、これからも声を挙げ続けてまいります。
かつての戦争の時代、国家によって声を封じられ、自由を奪われた人々があったことを私たちは忘れません。そのような時代に少数ではあっても屈することなく抵抗を続けた人々があったことを私たちは記憶します。そして抵抗の時代を迎えている今、信仰と良心に基づく生き方を主体的に選び取っていくことをここに言い表すものです。
<記者会見について>
司 会:安海和宣共同代表(単立東京めぐみ教会牧師)
声明の発表について:朝岡勝共同代表(日本同盟基督教団徳丸町キリスト教会牧師)
よびかけ人:川上直哉牧師(日本基督教団 正教師、仙台キリスト教連合世話人、被災支援ネットワーク・東北ヘルプ事務局長)、城倉啓牧師(日本バプテスト連盟泉バプテスト教会)、杉浦紀明牧師(日本ホーリネス教団 川越高階キリスト教会)、星出卓也牧師(日本長老教会 西武柳沢キリスト教会)よびかけ人(佐々木真輝牧師、吉川直美牧師、三浦陽子牧師)
既に全域が放射能被曝地である東日本大震災被災地から、特定秘密保護法に反対せざるを得ない現実を申し上げる。今年8月、NHK報道で、水に溶けず、マスクを透過し、ガイガーカウンターでは捕捉されない放射線を発する物質が、被災地全域を覆う範囲に飛散している可能性があると分かった。こうした「新しい知見」はこれからいよいよ積み上がることであろう。被災地では、それらを一つ一つ注視しながら、子どもたち・大切な命を守らなければならない。その結果、世間や行政の思惑との摩擦が生まれることであろう。すでに放射能に怯える母親たちは、復興を願う空気の中で「不安を覚えてはいけない」という激しい抑圧に曝され、世間や行政の思惑との間の摩擦の中で、子どもたちを案ずる自由を奪われ、深刻な人権侵害にさらされている。チェルノブイリ事故の後、ソ連政府は情報を隠し続けたが、4年後に公開し、翌年崩壊した。日本の場合、最初に玉石混淆の情報が流通し、そして今、情報の流出が極端に抑えられる事態に至った。それは「原発事故子ども・被災者支援法」の精神に反する。命を守りたいという願いを大切にしてほしい。
杉浦 紀明(日本ホーリネス教団・川越高階キリスト教会)
「治安維持法」による「ホーリネス弾圧事件」は1942年(昭和17年)6月26日に始まったホーリネス系教会の牧師や信徒に対する一斉検挙事件で、「検挙された牧師は134名、そのうち起訴された者は81名、重刑や獄死者19名、閉鎖された教会は約300」と言われている。当時弾圧を受けた教会関係者は、戦後70年になろうとする今も大きな心の傷を負っている。戦後生まれの私は、日本国憲法のもとで、まさか二度と同じようなことはあるまいと長年思っていた。ところが、改憲を掲げて登場した自民党と第二次安倍内閣は昨年12月、「特定秘密保護法」を多くの国民の不安と反対の中で強行可決し、その半年後の今年6月には、集団的自衛権の行使を容認する閣議決定を強行し、日本を戦争する国に引き戻そうとしている。戦前のホーリネス弾圧を想起させ、現代における宗教弾圧の再現を彷彿とさせる。「国民の不安を払拭する」(安倍首相)というなら、まず一切を白紙にすべき。
星出 卓也(日本長老教会 西武柳沢キリスト教会牧師)
来年の第188回通常国会で、集団的自衛権行使のための法整備が始まる。自衛隊法、周辺事態法等の改正によって、米軍に対する「役務提供」の中に規定される「武器使用」の範囲の大幅拡大が予定され、軍事国家への道、まっしぐらに進んでいる。軍事国家と民主国家は対極・水と油の関係である。そして、キリスト教会にとっても、重大な問題を含んでいる。戦争遂行には限られた意思決定機関が、国会や閣議さえも超越して、秘密裏に、行政全体を統合一元化して動かすことが必要で、これを民主的に進めることは不可能だ。軍事化路線を進むほど、国民の知る権利はますます邪魔になり、国民主権は最大の敵になる。「国家安全保障会議(日本版NSC)」の構成員は、首相・外相・国防省・官房長官の4名だけで、つまり重大な決定が国会を越えて、閣議も超えてできるシステムがすでに出来上がっている。第186回通常国会で、国会法と参議院規則の改正案、参議院情報監視審査会規則案の三法案が強行採決された。特定秘密保護法に基き、戦後初めて国会に秘密会を新設するという、国会の在り方に関する極めて重要な法であった。「国家の安全保障を損なうに著しい恐れがある」と見做されれば、国政調査権を持っている国会議員に対しても情報を隠し、議員の国政調査権も制限できる内容を、国会自らが採択してしまった。秘密保護法の最大の敵はテロや情報ではなく「国民主権」である。「主権在民」は今まさに瀕死状態である。キリスト教会にとっても大いな関係がある。70年前の時代をみれば明らか。とくに「敵意」がたきつけられ、時代が「敵意」を取り込んでいくとき、「隣人」を愛するという聖書の教えが揺るがされることになる。若者を教会がら戦場に送り出すことはできない。隣国の友との和解を考える時、真実を知ることが不可欠である。
<緊急集会>
○講演○ 「闇の中で光を--戦争国家化の中で」 田中伸尚氏 (要旨)
二つの「前夜」と『前夜』
今日は特定秘密保護法施行の「前夜」。時代は改憲の「前夜」でもある。今回の衆院選と16年参院選は、そういう意味で戦後最大の選挙となるだろう。
Ⅰ.廃止するほかない秘密法。
この法は、公安や警察が前面に出る。「特定秘密」漏らすおそれの有無の適正評価、警察組織が不可欠→治安維持法体制―戦争国家化・推進・拡大と軌を一にするものだ。
Ⅱ.戦後精神とコヴェナント(誓約)
「国家は嘘をつく」。伊丹万作の言葉。「だまされるということ自体、ひとつの悪である」「だまされていた」といって平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう」。
国家を疑う。それが戦争を経験して多くの犠牲を経験した(加害の認識は随分時間が経ってからだが)戦後意識の始まりだった。国家への疑いは、「国のため(天皇ため)の死」を拒否することであり、その戦後の認識が結実しているのが憲法であると田中氏は指摘された。
「殺さない/殺されない/殺させない」。二度と戦争をしない!―この非暴力平和主義と個人の尊厳が憲法で誓約していることなのだ。憲法は「国家は嘘をつく」ということを前提として、国家権力を縛るものとして、国民が権力者に対して守るべき義務を求めるものだ。
Ⅲ.克服されざる明治国家意識との攻防
戦後の保守政権の方向は、国民意識の再統合と愛国心の掘り起し、涵養であった。①改憲②教育基本法改定目指す→国家に抵抗しない国民づくり―戦後精神と憲法とは逆向き―56年参院選で改憲にはブレーキがかかった。戦後、自民党政府は明治の国民意識の再統合を4点にわたってもくろんだ。紀元節、元号法、国旗国家、靖国神社国家護持。前の3つは実現し、憲法20条の改憲で、靖国国家護持を実現しようともくろんでいる。靖国神社について、推進派が考えていることは、まず靖国神社の国家的位置づけを国民意識の中に刷り込むこと。最終的には改憲によって国家護持を目指している。克服されざる「国のため」意識との攻防の例…自衛官強制合祀―公務死の自衛官の夫をキリスト者の妻の拒否を無視し、国が護国神社に合祀。個人の意思・信仰・思想無視、「神社は非宗教」「自衛官の士気高揚」―国家神道意識の存続―克服されざる明治―戦後27年後の事件であった。妻の裁判提起(73年)―単独者として。脅迫状、批判、キリスト者からも。「国のために死んだのだから」―敗戦前には、想像できない合祀拒否―応答した人びと―単独者と隣人→彼女の抵抗は最高裁敗訴後も続く。
Ⅳ.私たちは今、どこにいるのか
「ファシズムは一晩で来る」。1999年から急速にこの国は変質して来て、そして安倍政権になり、さらにスピードアップした。国旗国歌法1999年、周辺事態法1999年、教育基本法改変2006年、集団的自衛権容認閣議決定2014年・・・戦争できる国へひた走っている。道徳教育推進教員の導入もまた「戦争できる国」への準備である。社会は、排外主義・異常な国粋主義の空気、ヘイトスピーチ、在日大学教員に対する名指しの攻撃などであふれている。近隣諸国との緊張感をつくっているのは、改憲のためである。現政権べったりのマスメディアは、権力の批判というジャーナリズムの精神を失っている。
Ⅴ.抵抗の時代へ
新たなる戦前の予感について、「未完の戦時下抵抗」の連載「いま、戦争国家化の中で」を開始した。
これまで、戦時下での抵抗の6人のケースを取材した。吉田隆子、細川嘉六、鈴木弼美、浅見仙作、竹中彰元、浪江虔―さまざまなスタイルでの戦時下抵抗である。たとえば、『抵抗のモダンガール』吉田隆子は、治安維持法で4回検束、検挙。音楽家として唯一戦争応援歌作曲しなかった。6人のうち、3人が宗教者で、うち2人はキリスト者。戦時下で教団が荷担・協力の立場に飲み込まれていった。41年アジア太平洋戦争開始以後の勝利の下で、国民の99%以上が「我々の戦争」と捉え戦意=愛国心昂揚で抵抗は困難になった。
Ⅵ.諦めない抵抗の継続こそ闇の中での光
国家に対する民衆の不服従権の確立訴えた「アジアに対する日本の戦争責任を問う民衆法廷」大法廷の不服従宣言は、宣言だけで終わった。無駄だったのだろうか?
戦争国家化の中で、「私」、「あなた」が何をするか問われている。非暴力で考えられるあらゆる方法をとること。小さくても、一つでも抵抗は無駄にはならない。必ず他者に伝わっていく。井上靖の遺作で、小林多喜二の生涯を描いた評伝劇「組曲虐殺」で歌われている曲を紹介する。
「信じて走れ」
愛の綱を肩に、希望めざして走る人よいつもかけ足で 森をかけぬけて
山をかけのぼり 崖をかけおりて
海をかきわけて 雲にしがみつけ
あとにつづくものを 信じて走れ
在日韓国人牧師の崔昌華を紹介する。渡日35年、名前の民族語音読み定着、指紋押捺拒否―外国人登録法廃止まで、画期的人権獲得運動に力を尽くした。崔牧師は「この世にある限り、この世に倣わず、この世と闘い、その苦難を引き受ける」と、誰もが諦め、運命のように受け止めていたことを否定し、人間性を取り戻すことを諦めなかった。
「一番大切なことは、決してあきらめないことです。困難を前に運命だとあきらめ、自分にできることは何もしない。それが最悪の選択です」(E・サイード)
○感想から○
◇「言いたいことを言うのではなく、言わなければならないことをいう」(桐生ゆうよう)これがジャーナリズムの根幹であるが、戦意が高揚する中で言わなければならないことを言うのはとても困難だ。だからこそ「前夜」に言うべきことをいう「抵抗」が必要になるのだと田中氏は力強く語られ、歴史を通して「抵抗」をした単独者たちを紹介し、小さな抵抗であってもそれが決して無駄にならないこと訴えられた。牧師としてこのことは胸にささった。「言わなければならないことをいう」。ここに預言者としての牧師の務めがあることを肝に銘じなければならない。
◇「あとにつづくものを 信じて走れ」。私たちキリスト者にとって前を走るキリストに続くことであり、その小さな歩みが光となり、祈りの路となることと思う。闇また一段と深まる「前夜」に改めて主に従う信仰を問われた講演だった。
<メデイアでの報道記事>
クリスチャン新聞 http://jpnews.org/pc/modules/mysection/item.php?itemid=1012
FEBC http://yona.febcjp.com/2014/12/10/sikozenya/
東京新聞 12/10付
しんぶん赤旗 12/11付