シンポジウム
集団的自衛権と憲法ー「積極的平和主義」を問う
2014年4月10日(木)に日本弁護士連合会主催のシンポジウムがありました。参加者よりレポートをもらいましたので、共有します。
(あくまで個人的主観が入っています。正式なものは、後日、日弁連HPで公開されますのでそちらもあわせてご覧ください)
●北澤俊美元防衛大臣の講演●
2009年9月から2年間防衛大臣を務めた。ゲーツ国防長官とは8回会談をおこなったが、アメリカ側は、日本が憲法解釈を変更したり、集団的自衛権を持たなければならないなどとは思っていない。唯一の例外はアーミーテージ氏で、彼は3次にわたって、集団的自衛権行使容認を求める報告書を出している。もし日本が集団的自衛権行使を容認すれば、アメリカからかなり高い要求がされるはずと、危機感を感じる。
●パネルディスカッション●
「解釈改憲」「積極的平和主義」「集団的自衛権と日米安保条約」などについて、4人のパネリストの話で深め、世界と日本の平和を守る展望についても語られました。パネルディスカッションのパネリストの発言要旨をまとめました。
パネリスト紹介
北澤俊美さん(元防衛大臣・参議院議員・民主党)
阪田雅裕さん(元内閣法制局長官・弁護士)
谷口真由美さん(全日本おばちゃん党代表代行・大阪国際大学准教授・大阪大学非常勤講師・国際法学)
半田 滋さん(東京新聞論説兼編集委員・20年間自衛隊取材を担当)
「解釈改憲について」
阪田:解釈改憲について、安全保障の環境が変わったのか、それとも判断が変わるのかということが言われているが、この問題の本質は「立憲主義、法の支配に反する」ということの1点だ。大きな問題だ。
憲法9条第1項と同じ条文を持つ国は10数か国あるが、2項を持っているのは日本のみ。この問題に関連して、歴代政府は「自衛隊の存在は憲法上許される」としてきた。それは集団的自衛権と表裏一体の問題だ。「集団的自衛権行使を含む武力行使は許されていないから自衛隊は戦争できないので、軍隊ではない」と言ってきた。それを、9条をそのままで集団的自衛権行使はOKだとするのは、多くの国民の常識と違う。
論理で説明できないのであれば「解釈」の範囲を超える。解釈を変えるのなら、きちんと国民に説明し、理解を求め、手続きをとる必要がある。毎回の国会には100本近い改正法案が出され、古くなり時代に合わないものは変えているのに、なぜ、9条だけが解釈なのか。政府が法治国家としての役割を放棄するといってもいい。
谷口:全日本おばちゃん党は、市井のおばちゃんが感じている気持ち悪さを言語化している。集団的、も個別的、も98%の国民は知らない。今、ここに来ている人は、2%のマニアックな人。専門用語をつかわず、誰でもわかる言葉が大切。
殴られそうになったとき、さきに殴る、殴り返すというのが、個別的自衛権。
集団的自衛権=ケンカをクラス内で解決するという方法。しかし、集団的自衛権は、若い兄ちゃんのケンカだと思う。主張が正しいかどうかで相手を殴るのではなく、ツレ(連れ)だから、仲良しだから殴るというのが本質。
アメリカは世界最高の軍備システムを持っている。それに比べると日本の軍備は子どものおもちゃで、アメリカは日本の支援などいらないはず。
「閣議決定」と言っても、普通の人は意味を知らない。19人の閣僚で、アメリカを助ける」と決めたら、国民みんながついていかないといけないというのはいかがなものか。
国連憲章は、加盟国が守らなければならない。第51条に「自衛権」があるが、第2条4項で「(武力行使は)慎まなければならない」としている。国連憲章だけではなく、サンフランシスコ条約にも、ほかの条約にも違反することになってしまう。
日本のパスポートは世界最強で186か国に通用する。これは日本が平和な国で友達だと思われているからだ。
半田:自衛隊の取材20年の中で見てきたこと。PKOで外国に行った自衛隊がやっているのは、道路の補修など土木支援、給水事業、医療指導、の3つのみ。「戦争に来ているのではない」ということをアピールするため、戦車にも、迷彩服にも日の丸をたくさんつけている。イラクに行った時も、砂漠なのに、目立つように緑の迷彩服でいった。南スーダンには青いヘルメットを持っていった。かたやアメリカは、戦争しに行っているので、星条旗などつけないし、目立たないように砂漠には砂漠の色の迷彩服を着ている。南スーダンには400人派遣したが、道路の補修や、トイレ建設。難民の生活支援などをしている。ソマリアPKOでは海賊対処の活動で、P3Cを2機派遣し、哨戒活動の7割を行っている。つまり自衛隊は戦争したことがない。年間災害派遣に600回~900回出動するのが主な仕事。
憲法9条のおかげで、戦死者は一人も出していないが、実は、1840人が訓練中に亡くなっている。アメリカは10万人の戦死者を出している。
新防衛大綱は、「敵地への攻撃能力を検討」するとしており、大きな転換だ。長距離輸送のため空中給油機や、専守防衛と言いながら、潜水艦や120ミリ砲を積むひとまる型戦車など攻撃できる装備を備えようとしている。これを販売できる体制も整えた。北朝鮮のミサイル迎撃などは必要だとの議論もあるが、断面だけ取りあげるのはトリック。おかしいと思う。
「積極的平和主義」についてどう考えるか
北澤:「積極的平和主義」は、「有事にならないように」と言いながら、有事を自らまねくもの。防衛大臣時代、シビリアンコントロールの最後の砦は憲法9条だと思ってきた。シビリアンコントロールは、制服組の自衛官ではなく、国会議員が行う。総理大臣の考えで変わるなど、心配していた政治の破壊が始まっている。9条の歯止めがなくなることに、違和感を感じてとまどっているのは、実は制服組の自衛官だ。
半田:陸上自衛隊は、1992年からPKOといって人助けをして、派遣国の国づくりの活動に徹してきた。今は、能力構築支援といって、カンボジア、ベトナム、東ティモール、モンゴルなどに対して自衛隊が持つ国づくりの技術を教えている。道路の修復や、台風の時などに自分たちでできるようにするため。この「防衛交流」を通じて、紛争にならないよう関係を構築し、絆を結んできた。
谷口:一般の人は「積極的」な平和主義ならいいのでは、と思ってしまう。しかし、英訳すると「積極的に戦争する」と訳すのがグローバルスタンダードではないか。
「勉強が苦手」で、どちらかというと貧困家庭の子が自衛隊に行っている。これは世界共通の現象。しかし彼等は、災害の支援が自衛隊の活動だと思っている。「戦争に行くなら自衛隊やめるわ」と、人材不足になると、この先、徴兵制が待っている。
おばちゃん党はっさくの第一は、「うちの子もよその子も戦争には出さん」。「大切な人を守るため」といって、戦争に行くのはおかしいと、世界中のおばちゃん・母親が思っている。「積極的」…の本質は戦争に向かっている。尖閣諸島も、竹島も今今始まった問題ではなく、前からあった問題なのに、「今さらなんで」「なんで今」取り上げるのか。
阪田:安保法制懇の報告書が5月連休明けに出されるという。法制懇には憲法の専門家が一人もいない。「限定的ならいいのでは」「砂川判決」が持ち出されるなど、目まぐるしく内容も変わっている。これまで、武力は、「我が国を守るために、必要最小限持つ」としてきたが、緩めれば防衛費を増額することになる。万一攻められたときの必要最小限というが、交戦権を持っていない。
砂川事件については、米軍の駐留が合憲かどうかということを問うたのであって、個別的自衛権の問題であった。そもそも、集団的自衛権は新しい概念。砂川事件のときはそんな概念はなかった。たとえ、問題になるとすれば、日本ではなく、アメリカにとっての集団的自衛権であり、まったく根拠にはならない。
北澤:「アメリカが言っているから変える」と理由づけされるが、それは違う。アメリカは日本が自ら「集団的自衛権でバックアップします」と言えば歓迎するだろうが、今のアジアの情勢からみると、関係が悪化する事態は歓迎しないはず。特にオバマは「悪化するのは抑えてほしい」と思っているはず。アメリカの懸念は、北朝鮮がミサイルを撃った時、安倍首相が迎撃態勢をとることだ。実質的に宣戦布告・戦争になると、北朝鮮は54基の原発を標的にして攻撃するだろう。これが外交のリアリズムである。
「世界の厳しい状況を見て集団的自衛権が必要だ」というのはナンセンス。外交の力でいくらでも解決できる。「限定的」は、歯止めにならず、どこまでもどんどん行ってしまう。太平洋戦争の前の状況に似て、国全体がナショナリズム化している。
「集団的自衛権と日米安保条約の関係についてどう見るか
半田:安保条約の第5条では「日本国の施政下」が安保の対象範囲であり、集団的自衛権行使の議論には触れていない。第5条で「アメリカが日本を守っている」ので、第6条で「基地提供」を決め、見合いになっている。第5条を変えて、集団的自衛権行使を可能にすれば、第6条はいらなくなる。アメリカは、第6条の方が大事だと思う。日本が協力しなくても、自分だけで迎撃できるし、思いやり予算の2000億円、基地があることへの財政負担は6400億円であり、非常に大事だ。
政府は、安保条約には触れず「日米ガイドライン」だけ変えるといっているが、それもおかしなこと。ガイドラインは基本的な考え方で「安保条約の枠踏みは変更されない」となっており、矛盾する。
それでは、どうやって世界と日本の平和を守るのか
谷口:平和的に友達を減らさないのが本当の「積極的平和主義」だ。憲法9条は平和の先取りで、誇らしいこと。それを「おかしい」とか「非国民だ」という人と、同じ土俵に乗っかって話してはいけない。世界のおばちゃんと手をつなぐこと。「ほっとかない」「おせっかい」を「もったいない」のように広めたい。
今後の運動の展望など、最後に
北澤:安倍首相は、集団的自衛権を閣議決定で認めるといっている。また関連法を決めるといっている。99条の義務規定をないがしろにしている。99条を守らない関連法はすべて憲法違反だ。日弁連にはこの論理立てをお願いしたい。
阪田:安保法制懇の論議は卑怯だと思う。「国の上をミサイルが通る」など、国民には関係の内容な議論をしているが、戦争とはそんなものではない。ベトナム戦争を見ても、アフガニスタンを見ても、すべて地上戦だった。犠牲を覚悟しないとならない。万が一、その道を進むことが必要だとしても、しっかり正面から論議しないのは卑怯だ。これで解釈を変えるなどとは、「憲法なんてそんな程度のもの」、「日本はその程度の国だ」ということになり、立憲主義・法治国家としていかがなものか。阻止する手立ては国民の声しかない。
谷口:子どもの将来の夢・なりたい職業を聞くと、「政治家」は100位にも入っていない。政治家は尊敬されない職業。不幸な国だ。「日本人の心」「美しい国」というが、卑怯なことを許さないのが日本人の心だ。ずるい人を認める社会にしたくない。「興味ない」「関係ない」「わからない」、の3ない撲滅運動をおしゃべりで広げましょう。
半田:安倍首相はしばしば「集団的自衛権を認めるのは、我が国をとりまく安全環境の悪化」と口にする。法制懇の立ち上げのあいさつもそう言った。しかし、第一次安倍内閣のとき2007年5月に安保法制懇を立ち上げた際も同じ挨拶をしている。6年間で北朝鮮が核実験やミサイル発射を繰り返し、尖閣の問題など、状況は異なっているのに同じ挨拶だ。つまり、「自分がやりたいことをやる」という「趣味の世界」に入っている。「王様は裸だ」と世論の力で認識させよう。