【Peace Making Study Session】
12月1日 特定秘密保護法に反対する牧師の会・講演会レポート
於:お茶の水クリスチャンセンター8Fチャペルにて
特定秘密保護法に反対する牧師の会は12月1日、御茶ノ水クリスチャンセンターチャペルで【Peace Making Study Session】を開催。国際基督教大学客員教授の稲正樹さん(憲法学)を講師に、安保関連法制可決・秘密保護法施行下での情勢と憲法のゆくえ、私達ができることについて学びました。
同会が活動を始めた2013年12月6日から2周年。セッションの開かれた12月1日はいみじくも特定秘密保護法の本格施行の日となりました。
主催者あいさつ(朝岡勝共同代表)
「この2年間で、秘密保護法の廃止をめざそうという出発から、その後の日本の流れは目まぐるしく動いています。とくに今年は変化の年であり、安全法制に対して何とか取り下げほしいという働きかけてきたのがこの年の歩みでした。さまざまな声もいただきました。『秘密法反対』、の会の主旨に賛同したのであって、その後の安全保案に関することまで活動するのはいかがなものか、など。たしかに会の名称と安保法制に反対する活動が結びつかないかもしれません。
しかし、秘密法成立の直前には、日本版反NSCの設置も決まり、いわゆる戦争ができる国づくりへの流れができつつあったというのが2年前のことがら。その後の流れに線を引っ張ると、いまの流れにつながってきます。まったく別の働きというよりは、秘密法反対の流れの中で見えてきた事がらに、その都度祈りながら対応して今にいたっています。微力な働きで、その流れを食い止めるところまでにはいたっていませんが、法案が成立した今、反対した人たちが知恵を出しあっています。主権者の一人として何が問題の本質かをしっかり学び、それぞれ持ち帰って分かち合っていただければ幸いです」。
ICU客員教授の稲正樹さんが、「私たちの国はいま、どこへ行こうとしているのか―私たちが踏み出せる一歩は何か」と題し1時間の講演を行いました。安倍内閣の改憲への狙いと危険な本質、一方で憲法のすばらしさ、今後の展望を語り、クリスチャンとしての立位置についてもあらためて考えさせられる講演でした。
はじめに旧約聖書から
エレミヤ書6章14節~16節、同21章8節のみことばをひき、「平和か戦争か、命か死か、そのどちらの別れ道を選ぶか、神に迫られている。『戦争法』反対は私たちにとっては信仰のたたかい」と切り出しました。
本題に入り、第1次安倍内閣の「改正教育基本法成立」「憲法改正国民投票法成立」からの国家体制づくりの流れ、自民党憲法改正草案(2012/4)の問題点について整理。
特定秘密保護法の位置づけについて、軍事立法としての基本的性格を持ち、9条改憲と直結する憲法の平和主義を否定する実質明文改憲の先取りとあらためて指摘。「改憲の意図する『戦争をすることができる国家づくり』の過程を秘密のベールで覆い隠し、戦争への国民の批判を封じ込め、国民の協力を取り付ける装置となると批判しました。
安倍政権の本質について、保守支配層が長年にわたり待望しながら実現できなかった課題を強行する支配層待望の政権という顔、「軍事大国化」と、自国の多国籍企業の競争力を拡大するべく、既存の政治経済体制をいっそう大企業本位に変える新自由主義改革推進という2つの顔があると分析。
このような流れの中で、安保法案=戦争法案は強行採決・成立しました。しかし、これまでになかった規模の運動が新しい層にも広がったこと、成立直後から「違憲」法律を塩漬けにすべく、創意工夫にあふれた市民の運動が展開していることを紹介。
「日本国憲法のテキストは一字一句も変わっていません。平和的生存権、戦争・武力による威嚇・武力の行使の放棄、戦力の不保持、交戦権の否認を定めている」と参加者を励ましました。
そして、
イザヤ書2章4節の「終末の平和」の預言をひいて、待望される全世界の平和を実現するための道具として、私たちの静かな、冷静でかつ忍耐強い『平和のための戦い』で『積極的平和主義』という言葉の欺瞞性を明らかにし、真実の「積極的平和」の憲法政策を力強く具体化していこう」とよびかけました。
最後に、軍事大国化と新自由主義改革に対抗する21世紀のマニフェストとして、日本国憲法に基づく新しい平和と福祉国家への構想を提案。
「新しい歌を主に向かってうたい 美しい調べと共に喜びの叫びをあげよ。」(詩篇33.3)。
自由と平和を確保する展望が開けると結びました。
講演の後、30分の質問タイムを設定。時間を超過するほどの質問がだされました。
経済と内閣支持率の問題、キリスト者としてできること、選挙について、基本的人権の理解を深めること、立法過程への市民参加など、ひとつひとつに丁寧に答えました。
よびかけ人の柴田智悦師の先導で祈りのときを持ち、会を閉じました。
参加者は「どこに自分の信仰を置くのか問われている政治情勢だと危機感を強めた」「社会情勢はもちろん、日本の教会のありかたについても考えさせられた」などと感想を話しています。