2016年2月5日金曜日

「いま知るべき宗教・政治」特集として、「安倍政権と『日本会議』」 AERA2016/1/25号から

AERA2016年1月25日号は、「いま知るべき宗教・政治」特集として、「安倍政権と『日本会議』」についての記事を掲載しました。ジャーナリスト・青木理氏によるものです。

 安倍政権の閣僚の過半数が関与するといわれる政治団体「日本会議」。その源流は、戦前生まれの進行宗教団体であり、現在は神道系の中心とする宗教団体とのかかわりが深いとされています。このルポの掲載のためかどうか定かではありませんが、該当の号はあっという間に完売し、バックナンバーも取り寄せできず、Amazonでは4倍の値段がついています。 ルポの内容は大変興味のあるもので、ぜひ多くの方に読んでいただきたいと思いました。当会で把握している関連資料と合わせて紹介します。

*こちらの表はAERA記事のものではありません。

-以下引用

 昨年10月7日の発足した現内閣―ー第3次安倍改造内閣の全閣僚20人のうち、半数を超える12人がそろって関与している”政治運動団体”がある。
 日本会議。憲法改正などが最大目標だと訴える右派団体であり、その主張に共鳴する国会議員で構成される日本会議国会議員懇談会は、正確な数字こそ明らかにしていないもの、衆参両院を合わせて約280人が加入しているとされる。
 中でも安倍政権と同会議の親和性は極度に高く、一昨年9月に発足した第2次改造内閣の際は、全閣僚19人のうち首相の安倍晋三を筆頭とする実に15人が同懇話会メンバーで絞められたことが波紋を広げた。
 なのに、というべきなのか、こうした事実を日本の大手紙やテレビはほとんど報じようとせず、むしろ外国メデイアが安倍政権の背後で蠢く日本会議の存在に強い懸念を示すリポートを発信している。
 たとえばーー。 「日本で最大のナショナリストグループ」(米ニューヨーク・タイムズ紙)。 「愛国教育を推進し、”自虐史観”を終わらせるためにつくられた団体」(英ガーデイアン紙)。 「日本の最も強力なロビー団体で、露骨な歴史修正主義」(英エコノミスト誌)。 「日本の政治を作りなおしている極右のロビー団体」(豪ABCテレビ)。        
*元会長は最高裁長官*  
こうした見方が的をえたものなのかどうかはともかく、日本会議が安倍政権を支える右派・保守層の代表的存在なのは間違いないだろう。また、その実像をつぶさに追跡していくと、組織を支える保守系宗教団体の姿が浮かび上がってくる。

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 日本会議が発足したのは1997年にさかのぼる。元号法制化などを訴えて運動を推進してきた「日本を守る国民会議」と、各種の保守系宗教団体などで構成された「日本を守る会」などの右派団体が糾合される形で誕生した。
 これまでにワコール会長だった故塚本幸一や元最高裁長官の三好達らが歴代の会長を務め、現在の会長は杏林大学名誉教授の田久保忠衛。副会長や代表委員といった役職には神社本庁の総長、靖国神社や明治神宮の宮司ら神道系の宗教人のほか、元警察庁長官の城内康光、元東京都知事の石原慎太郎、埼玉大学名誉教授の長谷川三千子といった保守系の錚々たる面々が名を連ねている。
 同会議のホームページや機関誌「日本の息吹」などを眺めると、団体としての目標は多岐にわたるが、簡潔に記せば以下のようなものに集約されるだろう。 ①天皇と皇室崇敬、②憲法の改正、③いわゆる”自虐史観”などの歴史修正、④愛国教育の推進、⑤国防体制の整備、⑥選択的夫婦別姓など「家族を解体」させる制度導入への反対・・・・。

*会員数は3万8千人*

 日本会議の広報担当者によると、現在の会員数は3万8千人。全国47都道府県すべてに地方本部を置き、市区町村などの地方支部は現時点で総計243。前述したように中央政界では約280人の国会議員のほか、地方議員も全国で約1700人が同会議に集まっているという。その影響力がいかほどのものかはともかく、そこに集う人士や組織規模を見る限り、「日本最大の右派政治団体」という評価もあながち過大なものではない。
 同会議の発足にもちょくせつかかわり、かつては自民党右派のドンに数えられていた元自民党参院議員会長・村上正邦が当時を振り返ってくれた。 「日本会議は、ある人物が(発足にあたっての)実務的な中心になったんですよ。私のところにも相談にきたから、いろいろとアドバイスをしました。安倍がいいとか麻生がいいとか、どういう政治家を日本会議に入れるべきだとか言ってね」。 村上が言う「ある人物」とは、日本会議の事務総長として組織の実質的な責任者となっている椛島有三である。
 続けて村上の話。「彼はなかなのヤツですよ。(日本会議に参加する)地方議員が増えているのも、彼あたりが熱心にオルグして培ったものでしょう。現在の私は日本会議のありように懐疑的ですが、そういう意味では大したもんですよ。なかなかね」
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 45年、佐賀県生まれの椛島は、全共闘運動華やかなりしころの60年代後半、在学していた長崎大学で右派の立場からこれに対抗する「学園正常化運動」に取り組む活動家だった。特に長崎大では、一部の学生自治会を椛島らの右派学生が掌握して耳目を集めた。
 その椛島の精神的、思想的バックボーンとなったのが宗教団体「生長の家」である。  戦前に生長の家を立ち上げた初代総裁・谷口雅春は戦後、現憲法を占領軍の押しつけだとして「明治憲法復元論」を訴え、靖国神社の国家護持などを提唱、「生長の家政治連合(生政連)」を立ち上げて政界にも進出した。65年に参院議員に当選し、故・中川一郎らと「青嵐会」結成に参加した故玉置和郎はその筆頭格であり、前出の村上も当初は生政連に支えられ、自民党右派の代表買うとして政界に名をとどろかせた。
 その学生部隊として「生長の家学生会全国総連合(生学連)」があり、椛島もその一員だった。この当時、生学連メンバーとして右派の学生運動に取り組み、生長の家の出身者として安倍政権や日本会議に影響力を持つ人物はいまも数多い。
   
 ●生長の家●  
公称信者数168万人。本部は山梨県北杜市。生長の家の教義は谷口雅春の著作特に生命の実相・甘露の法雨を基礎とする。神道や仏教、キリスト教、天理教、大本等諸宗教はその根本においては一致するという「万教帰一」という思想を主張・布教している。(この注釈はAERAのものではありません。)  

*還流は「生長の家」*

 ごく一例をあげれば、現在は首相補佐官となっている自民党参議院議員の衛藤晟一は、大分大学で生学連の運動に参加していた。安倍の政策指南役とされる日本政策研究センター代表の伊藤哲夫は新潟大学で生学連運動に参加し、日本会議では政策委員などもつとめているという。
 このほか、日本会議で「新憲法研究」にあたるメンバーに名を連ねる日本大学教授(憲法学)の百地章も生長の家の出身だ。余談になるが、安保法制をめぐって昨年、大半の憲法学者が「違憲」と断ずるなか、安倍政権が「合憲とする憲法学者もいる」と主張して挙げたのが百地らだったが、関係者によれば百地以外にも生長の家の出身者がいるという。

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やはり生学連の出身で、民族派団体「一水会」の顧問などを歴任してきた作家の鈴木邦夫はこう明かしてくれた。 「生長の家は、2代目(総裁)の(谷口)清超先生のときに政治活動をやめたんです。日本も平和になったし、州境として本来の姿に戻るべきであり、もはや政治の世界には関与すべきではないと。ただ、それまでずっと蓄えてきた(政治的な)エネルギーがありましたからね。椛島君たちの存在もそうです。そういう人たちが運動をする場として、闘う場として、日本会議をつくったんです」  ーーということは、日本会議の源流は生長の家、生政連と考えていいんでしょうか。 「僕はそう思います。生長の家だと」 鈴木はまた、椛島らのこともこんなふうに振り返った。 「いまの日本会議で活動しているような生長の家(出身)の人たちは、みんな真面目なんです。親が生長の家に入っていて、その勧めで学生の頃から生長の家の錬成場に通うようになった人が多い。普通、親から宗教団体の集まりに行けなんて言われたら反発するでしょう。でも、それを素直に聞いて入るんだから、みんな素直で真面目で親孝行。だから自民党の先生方なんかにも好かれる」

 *組織力持つ右派活動家*

ーーそこがほかの右派学生たちとはすこし違ったと。 「ええ。長崎大で活動した椛島君たちが典型ですが、普通の右派学生のようにただ『反対』と言っているだけではなく、実際に学生たちを戸別訪問してオルグしたり、立て看板を出して人を集めたり、そういう力を持っている。それまでの右派というのは、組織運動の発想がなかった。左派の学生運動と闘う中でそういうノウハウを身に着けていった面もありますね。とくにそういうノウハウを持っているのが生長の家の人たちなんです」
 もうひとり、長崎大で活動していた椛島らを知る人物も、こんなふうに振り返った。 「右派の先生方や活動可児は事務能力なんてないけれど、彼らには事務能力も組織運動のノウハウもある。椛島君はカリスマ性のある活動家ではなかったけれど、非常に真面目で熱心に組織運動に取り組むタイプだった。そこが強みだったし、日本会議では生かされているじゃないでしょうか」   

 強調しておかなかればならないが、鈴木も指摘するように現在の成長の家は、組織として日本会議との関係を有しているわけではない。むしろ初代総裁・谷口雅春の死後、生長の家は政治との関係を遮断し、現在は政治的影響力をほとんど行使していない。
 ただ、椛島らを筆頭とする、生長の家やその政治団体である生政連、そして生学連の出身者らが、日本会議の中枢を組織運営面や思想・政策立案面で支えているのは間違いない。 前述したが、安倍政権の中枢や周辺にいる生長の家出身者は他に幾人も上げることができる。  他方、あらゆる組織や政治運動に共通する話だが、活動を資金や人的動員力の面で支える必要もある。この点で大きな力を発揮しているとみられるのが、神社本庁や神道政治連盟といった神道系の宗教団体である。

 *神道団体が資金源*

 厳密に言えば、任意の政治団体に過ぎない日本会議は、その資金的な収支状況などを公にしておらず、資金面の実態はベールに包まれている。日本会議側に取材を申し入れても、詳細を明らかにしてはくれなかった。
 そんななか、前出の村上が「宗教と右派の政治運動」に関する興味深い話をしてくれた。 日本会議とは直接関係ないが、90年に天皇即位を祝う大々的な提灯パレードが開かれた際のエピソードである。  同年11月、当時の経済人や文化人らでつくる奉祝委員会や国会議員らの奉祝国会議員連盟が共催して開かれたパレードは、東京・上野と新橋から皇居をメ指して約5万人もの人々が提灯や日の丸を手に行列するという大規模なものだったが、この準備に奔走したのが村上だった。
 村上が振り返る。 「私が中心となって準備にかかわったんですが、資金面でも警備の面でもいろいろ苦労しましてね。それを資金面で支えてくれたのが明治神宮だったんです」 ーーあれだけの規模ですから、かなりの額の資金が必要だったでしょう。 「ええ。億単位にはなったんじゃないですか。それを明治神宮が愚痴ひとつ言わず、快く協力してくれましてね。私たちとしては、この奉祝行列の成功をバネにして元号法制化の運動に入り、それがのちの日本会議へとつながっていったわけです」
 これも断っておかねばならないが、現在の日本会議の活動を神社本庁や明治神宮などが資金面でどれほど支えているかは定かでない。しかし、神社本庁を筆頭とする神道系の宗教団体が、現政権や日本会議などの右派・保守運動を広く、そして分厚く支えているのもまた疑いない事実である。

 *「美しい日本」に再結集*

 冒頭に記したように、日本会議国会議員懇談会に属するとみられる現内閣の閣僚は20人中12人だが、神社本庁などが中心となって作った神道政治連盟国会議員懇談会になるとその数はさらに跳ね上がる。
 保守運動を研究している「子どもと教科書全国ネット21」の事務局長・俵義文のまとめなどによると、その数は安倍首相を筆頭に計18人。全閣僚の実に9割にのぼる計算となる。その神道政治連盟も、ホームページなどで「日本に誇りと自信を取り戻す」と訴え、目的として「皇室と日本の文化伝統を大切にする社会づくり」「誇りの持てる新憲法の制定」「靖国の英霊に対する国会儀礼の確率」--などを掲げ、日本会議とは密接不可分な関係を有している。 
このほか日本会議の役員委は多数の宗教団体トップらが名を連ねている。           

●日本会議の役員を代表者などが務める宗教団体(日本会議のHPより)●
 神社本庁、伊勢神宮、熱田神宮、靖国神社、明治神宮、岩津天満宮、黒住今日、大和教団、天台宗、延暦寺、念法眞教、佛所護念会教団、霊友会、国柱会、新生佛教教団、キリストの幕屋、宗教真光、解脱会

 本誌編集部が各団体にアンケート方式で取材を申し入れたところ、大半の団体からは「回答は控える」と拒否されたが、一部の団体から日本会議への参加について次のような回答が寄せられた。 「我が国の伝統文化を継承する立場から協力している」(靖国神社) 「皇室仰慕の諸活動や英霊の慰霊顕彰など、教団の考え方に合う取り組みについて、その趣旨に賛同する会員に協力をよびかけている」(佛所護念教団) 「(日本会議の)関連団体の『美しい日本の憲法をつくる国民の会』代表委員に就任。今後、滑動を行うこととなった」(国柱会)  それにしても、日本会議という運動体に安倍政権の支える保守人同士が総結集し、神道系を筆頭とするさまざまな保守系宗教団体がそれを支えている構図をどう理解すればいいのか。
 上智大学神学部教授(宗教学)の島薗進は、こんなふうに分析しているという。 「冷戦体制が崩壊し、保守系の宗教団体はそれまでの『反共』という結節点、一種のよりどころを失いましたが、ここにきて『美しい日本をつくる」という目標で再編成されたということでしょう。それが、日本会議の形成につながっている」 前出の鈴木もこう言う。 「そもそも生長の家がなぜ政治に進出したかといえば、最大の理由は共産主義への危機感だったんです。このままでは宗教を否定する共産革命が起きかねない、それを何としても阻止しなくてはいけないという危機感。と同時に、創価学会に対する恐怖心もあった。創価学会が公明党をつくって勢いを増していくことへの恐怖。だから生長の家が政治連合をつくり、神社本庁も政治連盟をつくったんです」

*反対から提案の運動へ*

 それから時は移ろい、「共産革命」も「共産国の脅威」もほぼ消え去った。そんな時代、「美しい国」を掲げてこの国に現れたのが「保守のホープ」としての安倍政権だった。  日本会議の事務総長・椛島は、自身が会長を務める右派団体・日本協議会の機関誌「祖国と青年」の2007年7月号で、安倍政権の誕生と同会議の運藤のあり方について次のように記している。 〈安倍政権発足後の変化として私が一番感じておりますのは、日本会議が「阻止の運動」「反対の運動」をする段階から、価値・方向性を提案する段階へと変化してきたということです〉 〈どうでしょう、この1年間(第一次安倍政権発足後の1年間)、教育基本法改正の運動、憲法開星の国民投票法成立の運動と日本の根幹をなす大事な問題に建設的エネルギーを注ぐことができました〉 〈安倍政権になり国家の基本問題に関するマイナス事項が抑止されいる時代になったということを、政権がもたらした大きな作用として認識しなければならないと思います〉 「反対・阻止の運動」から「価値・方向性を提案する建設的段階」に移り変わったと椛島が礼賛した第一次安倍政権はわずか1年で消え去ったが、復活した政権は強硬姿勢で椛島らの望む「価値・方向性」へと突き進んでいる。翻ってそれを「反対・阻止」する運動は、残念ながらあまりに弱い。  (文中敬称略)
                                 -引用終了